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2024/04/20 03:24 |
歴史上の人物をランク付してみる [ユスティニアヌス1世編]
第二回です。テンプレはこちら

【フラウィウス・ペトルス・サッバティウス・ユスティニアヌス】

【列伝】
・483年 - 565年。東ローマ帝国ユスティニアヌス王朝第2代皇帝、“大帝”の尊称を持つ。農民の子として生まれるが、皇帝の近衛隊に勤務していた、叔父のユスティヌス1世に養育され、法学、神学、ローマ史の高い知識を得る。その後しばらくは近衛隊に勤務し、叔父が帝位に就くと、その腹心となった。

525年、20歳年下の踊り子、テオドラを娶る。彼女はニカの乱で、帝都から脱出しようとするユスティニアヌスを諌める等、皇帝の有力な助言者となった。叔父が亡くなると、後を継ぎ、皇帝に。農民出身で、貴族階級との有力なパイプを持たなかった彼は、生まれではなく、能力や実績ある人々を登用して統治を開始。ローマ法大全の編纂、ハギヤ・ソフィア大聖堂(ニカの乱で破損した)の再建、絹産業の育成といった文化事業と平行して、自身の大望であるローマ再興事業や、国境を侵してくるササン朝ペルシアや蛮族との戦争を行った。しかし、これらの事業の為に、重税を課してひどく憎まれる事にもなった。又、疫病や火山噴火による世界的な天候不順も、大きな負担としてのしかかった。
結局、彼の大望は、部分的かつ一時的に終わったが、彼の遺した文化的精神的遺産は、その後、永きに渡って帝国を支える事となった。


【統率】C
・皇帝としての権威以上の、人を従わせる術を持っていない様に思える。テオドラとベリサリウス抜きでは短命な治世で終わったであろう。


【武力】D 
・凡庸。皇帝になる前は軍を指揮した事もあるが、大敗もしなければ、勝ちもしなかったとか。


【知力】A+
・彼のローマ帝国を再興しようと試みは、『我らこそ正当なるローマ帝国』という、後世に大きな精神的、文化的遺産を遺した。その一方で、度重なる戦争が帝国の衰退を招いたとも。


【政治】B+
・内政面では、様々な文化事業を成し遂げ、税収を2割増しにする事に成功している。外交面では、しばしば敵国に多額の賠償金を支払い、時間稼ぎをしているが、このやり方には疑問が残る。全体的には、重税主義な上に大風呂敷を広げ過ぎたか。


【特殊能力】
・皇后テオドラ:いざという時、適切な助言をくれる。


【まとめ】
・第二回目は、前回のベリサリウスの主君であるユスティニアヌス1世です。
自分は当初、ベリサリウスを冷遇した人物としてかなり嫌っていましたが、前回紹介した動画を観て、考えを改めました。確かに猜疑心が強い性格ではあったのでしょうが、それ以上に冷徹な皇帝であろうとした結果が、ベリサリウスに対する仕打ちなのではないかと。結局、ベリサリウスの命は奪っていないし、疑いが晴れれば財産を返還し、名誉を回復してもいます。例え、ベリサリウスの利用価値を認めた、打算に基づいたものであれ、その気になれば容易に自分を排除できるであろう人物を生かしておくというのは、なかなか出来る事ではないのではないかと。大帝と呼ぶのはちょっと…… という評価もありますが、彼の遺した、『我らこそ正当なるローマ帝国』という精神的支柱が、その後の帝国を数百年も支えた事を鑑みれば、その事跡はある意味、一代限りの名君よりも遙かに素晴らしい偉業だったんじゃないかと。

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2012/03/29 22:05 | Comments(2) | 歴史

コメント

私は初めユスティニアヌスカッケー派でしたw。

なぜなら彼は北アフリカ、イタリア半島征服、さらにはローマ帝国復興を一代で惜しいところまで成し遂げようとしたと、学んだからです。

私自身西ローマ崩壊以後の東帝国の動向については詳しくないのですが、ユスティニアヌスはどうしても強く印象に残ってしまいます。
(あとはヴァレリアヌスですw)

けれど、ベリサリウスは将としてとても人気が高くどうしても戦史に詳しくなると皇帝に対しての印象が悪くなってしまうものですね。

そして彼の政治面はもう一段階高くてもよいと思いました。
地震、ペスト、東西攻勢を乗り切った彼の手腕はもうすこし高いかな?と思いました。もちろんどの物差しで測るかにもよりますが・・・。
(けれど彼の領土拡大政策はTWシリーズでいうと「将軍任せで維持費考えず勝利条件満たすだけの後先考えず政策」ともいえますし・・・、難しいです。)
posted by @takaat 2012/04/02 19:31 [ コメントを修正する ]
takaさん

コメントどうもありがとうございます。

>なぜなら彼は北アフリカ、イタリア半島征服、さらにはローマ帝国復興を一代で惜しいところまで成し遂げようとしたと、学んだからです。

普通の人は、今の生活が一番大事ですが、権力を持つ者はそれじゃいけない。あの時代、それを一番理解していたのが、彼なのでしょうね。

>私自身西ローマ崩壊以後の東帝国の動向については詳しくないのですが、ユスティニアヌスはどうしても強く印象に残ってしまいます。
(あとはヴァレリアヌスですw)

物語性のある治世だし、中世初期の最重要人物ですものね。そう思われるのも当然です!! ヴァレリアヌスは、皇帝で初めて捕虜になったあの人ですか? 僕はバシレイオス2世やヘラクレイオスなんかが好きです。

>けれど、ベリサリウスは将としてとても人気が高くどうしても戦史に詳しくなると皇帝に対しての印象が悪くなってしまうものですね。

そうですね。ベリサリウスを登用したのは、ユスティニアヌスなので、その功績は彼自身に帰するといえますし、自分より適性のある人間に任せるというのも、優れた人間の証であるとは思いますが、なかなかそうは思えないのが、人情ですかね。

>そして彼の政治面はもう一段階高くてもよいと思いました。

彼の、“大帝”という尊称の肯定派である僕としては、もう一声上げてもいいかなと迷っていたのですが、やはり国力を使い果たしてしまった感があるので、この評価となりました。



posted by 和at 2012/04/03 02:29 [ コメントを修正する ]

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