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2024/04/27 14:18 |
歴史上の人物をランク付してみる [秦良玉編]
第三回です。テンプレはこちら

【秦良玉(しんりょうぎょく)】

【列伝】
・1574年-1648年。中国・明朝の女将軍。姓は秦で、名は良玉、字は貞素。中国の正史に列伝を有する唯一の女将軍。


長じては、四川・忠州を治めていた馬千乗の妻となる。1599年に楊応龍の乱が起きると、夫とともに従軍。自身も500の兵を指揮し、宴会を偽装して敵軍の夜襲を誘引し、これを撃退。攻勢に転じて七つの砦を落す等、戦功一等とされるも、彼女は功を言わず、恩賞にあずかる事はなかった。夫の馬千乗は後に賄賂を送らなかった為に、宦官の不興を買い、無実の罪で獄死。それ以降は彼女が代わって石砡を統治することになる。

1621年、共に戦った兄が戦死するという痛手を受けつつも、数千の首級を上げ、後金の侵入を防ぐ。朝廷に兄と遺族の保障を願い出て、これを許される。同年、四川で奢崇明が反乱を起こす。この反乱軍に勧誘されるも使者を切り殺すと賊の鎮圧に出陣。周囲の少数民族が懐柔される劣勢の中、重慶を奪還、その功によって息子や甥が官職を賜り、感激した彼女はますます力戦、遂に蜀(四川)の土地を平定することに成功する。

1630年、永平の四城が陥落すると、時の皇帝、崇禎帝から召喚され、これまでの功績を称賛される。(彼女は四城失陥の責任追及だと勘違いしていた) その後も、数多の賊軍を討伐した。

1643年、張献忠が決起、これと戦う。先鋒こそ撃退したが、数的劣勢と友軍の非協力により連敗を喫し、3万の兵を失う。結果、四川は張献忠に支配されてしまう。

1647年、李自成の乱により崇禎帝が死亡、明が滅亡。しかし、彼女は亡命政権である南明の弘光帝に仕え、ここで官爵を得る。その後、領国・忠州に立てこもり敵軍を寄せ付けなかった。清により張献忠が敗死した後、老衰により死去した。

【統率】A
・配下の将兵や領民を統率する分には、まったく問題のないレベル。自身に反感を持つ人間を上手に動かす様な、カリスマあるいは手練手管は持っていない。

【武力】B+
・劣勢をしばしば覆し、数多の賊軍を討った。また、彼女が鍛え上げた山岳兵は、トネリコの槍を装備していた事から、白杆兵と呼ばれておそれられた。

【知力】B+
・人となり胆略智謀ありと評された女傑である。

【政治】B
・農業に造詣が深く、天候不順もなんのその。実質、孤立無援で死ぬまで領国を守り抜いた事は、政治手腕としても一定の評価をできるだろう。とは云え、自分が死んだ後の事まで考えていたかは疑問ではある。

【特殊能力】
・特になし

彼女の戦歴の前半では、功績を正当に評価されず、その上、夫を冤罪で殺されるという不遇の身でありながら、国に忠義を尽くした彼女の内心は、如何なるものだったのでしょうか? 個人的には、朝廷の腐敗に対する憤り以上に、政治の腐敗を大義名分にして、乱暴狼藉を働く賊軍が許せなかったのだろうと思っています。

――国には忠、民には義を。



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2012/05/19 00:29 | Comments(0) | 歴史
歴史上の人物をランク付してみる [ユスティニアヌス1世編]
第二回です。テンプレはこちら

【フラウィウス・ペトルス・サッバティウス・ユスティニアヌス】

【列伝】
・483年 - 565年。東ローマ帝国ユスティニアヌス王朝第2代皇帝、“大帝”の尊称を持つ。農民の子として生まれるが、皇帝の近衛隊に勤務していた、叔父のユスティヌス1世に養育され、法学、神学、ローマ史の高い知識を得る。その後しばらくは近衛隊に勤務し、叔父が帝位に就くと、その腹心となった。

525年、20歳年下の踊り子、テオドラを娶る。彼女はニカの乱で、帝都から脱出しようとするユスティニアヌスを諌める等、皇帝の有力な助言者となった。叔父が亡くなると、後を継ぎ、皇帝に。農民出身で、貴族階級との有力なパイプを持たなかった彼は、生まれではなく、能力や実績ある人々を登用して統治を開始。ローマ法大全の編纂、ハギヤ・ソフィア大聖堂(ニカの乱で破損した)の再建、絹産業の育成といった文化事業と平行して、自身の大望であるローマ再興事業や、国境を侵してくるササン朝ペルシアや蛮族との戦争を行った。しかし、これらの事業の為に、重税を課してひどく憎まれる事にもなった。又、疫病や火山噴火による世界的な天候不順も、大きな負担としてのしかかった。
結局、彼の大望は、部分的かつ一時的に終わったが、彼の遺した文化的精神的遺産は、その後、永きに渡って帝国を支える事となった。


【統率】C
・皇帝としての権威以上の、人を従わせる術を持っていない様に思える。テオドラとベリサリウス抜きでは短命な治世で終わったであろう。


【武力】D 
・凡庸。皇帝になる前は軍を指揮した事もあるが、大敗もしなければ、勝ちもしなかったとか。


【知力】A+
・彼のローマ帝国を再興しようと試みは、『我らこそ正当なるローマ帝国』という、後世に大きな精神的、文化的遺産を遺した。その一方で、度重なる戦争が帝国の衰退を招いたとも。


【政治】B+
・内政面では、様々な文化事業を成し遂げ、税収を2割増しにする事に成功している。外交面では、しばしば敵国に多額の賠償金を支払い、時間稼ぎをしているが、このやり方には疑問が残る。全体的には、重税主義な上に大風呂敷を広げ過ぎたか。


【特殊能力】
・皇后テオドラ:いざという時、適切な助言をくれる。


【まとめ】
・第二回目は、前回のベリサリウスの主君であるユスティニアヌス1世です。
自分は当初、ベリサリウスを冷遇した人物としてかなり嫌っていましたが、前回紹介した動画を観て、考えを改めました。確かに猜疑心が強い性格ではあったのでしょうが、それ以上に冷徹な皇帝であろうとした結果が、ベリサリウスに対する仕打ちなのではないかと。結局、ベリサリウスの命は奪っていないし、疑いが晴れれば財産を返還し、名誉を回復してもいます。例え、ベリサリウスの利用価値を認めた、打算に基づいたものであれ、その気になれば容易に自分を排除できるであろう人物を生かしておくというのは、なかなか出来る事ではないのではないかと。大帝と呼ぶのはちょっと…… という評価もありますが、彼の遺した、『我らこそ正当なるローマ帝国』という精神的支柱が、その後の帝国を数百年も支えた事を鑑みれば、その事跡はある意味、一代限りの名君よりも遙かに素晴らしい偉業だったんじゃないかと。

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2012/03/29 22:05 | Comments(2) | 歴史
歴史上の人物をランク付してみる [ベリサリウス編]
それでは早速やっていきます。テンプレはこちら

【フラウィウス・ベリサリウス】

【列伝】
・505年 - 565年。東ローマ帝国の将軍。農民出身とされる。軍に入隊し、ペルシア戦線での武勲が、時の皇帝ユスティニアヌス1世の目に止まり、23歳で軍司令官に抜擢される。帝都で勃発した「ニカの乱」では、完璧な鎮圧をやってのけ、古代ローマの民主的な気風に止めをさした。その後、皇帝のローマ再興事業に従い、北アフリカを征し、イタリアへ進軍、ローマを奪還する。  
 しかし、その巨大な功績から皇帝の疑念を受け、解任。その後は戦局が悪化すれば呼び戻され、任務を終えれば再び解任の繰り返し。加えて、謀反の疑いで財産の没収、幽閉されたりと冷遇される。しかし、それでもなお、愚直なまでの忠義を貫き通した。天寿は全うしたと思われるが、最後は憤死したともいわれている。


【統率】A 
・人格的魅力というよりも、能力と実績で人を従えるタイプ。略奪を禁じ軍規を正すも、それが同僚や部下との不和にもなった。彼の度を越した恐妻家ぶりも反感を招いた。但し、戦場レベルでの綻びはほとんど無い。


【武力】S 
・騎兵や伏兵、野戦築城などを駆使して、小をもって大を制した。兵力的に敵より有利な条件で戦った事はほとんどないが、それでも連戦連勝を重ねた。僅かに存在する敗北も、まともに兵を与えられなかったからで、彼に責任があるというのは酷だろう。自分は中世ヨーロッパに限定すれば、最高の名将だったと思っている。


【知力】B 
・軍の歩兵部隊の弱体化を見て騎兵を増強したり、奇策をつかって勝利するなど、なかなかの知力を持つといえる。国家戦略を策定するような立場にはなかった。


【政治】C
・略奪を禁じるあたり、軍政家としての適性はあるか。


【特殊能力】
・特になし。


【まとめ】
・第一回目の人物は、自分の好きな歴史人物としては、トップクラスに位置するベリサリウス将軍です。後世からは、古代ローマの名将スキピオの再来とまで称えられる程の功績を上げながらも、冷遇され、それでもなお、忠節を貫いたその生き様は、なんとも言えない魅力と哀愁に満ちており、これほど英雄的な人物もなかなかいないのではないかと思います。
 さて、ベリサリウスがここまで忠義を貫いた理由ですが、ネットでは彼がドMだったのではという、身もふたもない意見もありますが、個人的には彼は「正義の味方」ならぬ、「ローマの味方」であろうと心に誓い、それを最後まで貫いたのではないかと。蛇足な話しで恐縮ですが、自分の好きな某ゲームの某キャラの生き様が、妙に被ってみえるんですよね… 同じ弓の名手だし。最後にベリサリウスが主人公の動画を紹介。







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2012/03/08 17:47 | Comments(2) | 歴史
歴史上の人物をランク付してみる [テンプレート編]
ネットでよく見かける歴史上の人物を、ゲーム風に数値化やランク付けするネタを、以前からやってみたいと思っていたので、ブログ開設を機会に当ブログでやっていきたいなと。まずはテンプレートの紹介です。

【評価する人物の名前】

【列伝】
・当該人物の生涯や実績。

【統率】 
・技術的なものだけでなく、人格的魅力も含めた他者を従える能力。
【武力】 
・戦術~戦域レベルでの用兵能力。
【知力】 
・謀略や戦略を策定し、実現する能力。あるいは、意志の強さ、発想力や機転の有無。
【政治】
・内政、外交の実務的な能力。

上記の各能力を上から、EX,S,A,B,C,D,E,F,の八段階でランク付けする。各ランクのイメージは下記の通り。

EX:人外、もはや神
S:超人、天才
A:一級
B:優秀
C:無難
D:凡人
E:低能
F:無能

【ランク修正】
・ランク内で上位ランクに近い能力を持つ場合は+、下位ランクに近い能力を持つ場合はーの修正を付加する。

【特殊能力】
・上記能力では、表せない特技、特性など。

【まとめ】
・筆者の感想や補足。


とりあえずは、こんな感じでやってみます。



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2012/03/08 14:59 | Comments(0) | 歴史

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